自殺について語ります。
せっかく人間に産まれて、この世界に嫌でも入った以上、どうせなら満喫しませんか!?
こ・ん・ば・ん・は☆
ドドンッ
突然ですが、 "もう死のうかな" とか、"生きてても、良い事なんか全然ない" とかって思っていませんか?
死んだら本当に網羅からは解放されるのでしょうか?
そこの貴方、どうですか。
死のうと思ったら死ぬのは怖くなりますよね。
そして、この記事を読んでいるということは、かつおに興味があるか、自殺について興味があるかのどちらか、あるいは両方ですよね!
今回の話の経緯ですが、
実はルームシェアをする予定だった内の一人と音信不通気味で、この前連絡が取れた時には、
"僕なんか生きている価値はあるのか?" とか、
"自分のやった事に対して凄く後悔をしている" とか、
まぁ、かつお視点、くだらない事を言っていたのです。
かつおもかなりメンタルが脆く、スポーツを長い間やっていたという事もあり、まだ短い人生ですが、
"死んでしまった方が楽なのでは?"
"生きていても辛いことばかりだ"
"周りの人にもかなり迷惑をかけている"
と、兎に角逃げ道を探す事が多く、その度に、そんな自分を軽蔑的に見たり、嫌ってみたり、たくさんの葛藤をして来ました。
そして、未だにその答えは出ていません。
だけれど、かつおという存在はまだあります。
ある時、一つの面白い考えが浮かんだのです。
「死ぬのは正しいのか?」
そう。皆さん、死のうとする時、みんな、
"生きる価値"
を探しすぎだよ!!
ほら、考えてみてください。
それって、生きてるから辛いですよね?生きているから痛いですよね?悲しいし、死にたいですよね?
「どうか生きてる事を否定しないでください!」
それは運命です!
産まれることは必然で、正解なのです!
その事象として、人間である以上、それが答えです。
強いて理由を言うのであれば、産まれてくることに
"拒否権が無い" からです。
それを否定してしまうのであれば、かつおにはどうすることもできません。
好きにしてくれよ。と。
そこで、「死ぬのは正しいのか?」について日頃考える様になりました。
感覚的には、死にたい。と思ってる時の逆ですね。
つまり、生きよう。と思っているのですよ。
生きていない時は死んでいる時。
ならば、死なない限りは生きています。
簡単なことですよね。
生きよう。と思った次に必要なのは、ざっくりとした目標ですよね。
皆さんの人生の大きな目標はなんですか?
「お金持ちになってやる!」
これがかつおの活力となりました。
しかし、1度は死のうと思った以上、面倒臭がりなのは否めません。笑
楽して稼ぎたいんです。
でも、そんなのは難しいですよね。わかります。
だからまだ死ねないんです。
この記事では、自殺抑制なんて出来たらいいな。位にしか考えてないですが、皆さん、今一度生きる事について考えるのではなく、死について考えてみてください。
極論を言ってしまえば、どうせ人間は死にます。
どうせ死ぬんです。頑張っても、頑張らなくても。
しかし、やりたい事をやっても死にますが、やりたくない事をやっても死んでしまうんです。
どうせ死ぬのに頑張るのはバカみたいかも知れません。けど、どうせ死ぬのにやりたくない事をやっている方が馬鹿みたいじゃないですか?
死ぬまでの時間は分からないですが、必ず限られています。
どうか皆さん、やりたい事を追い求めてください。
きっと前途多難でしょう。
しかし、目標のプロセスに過ぎません。それすら気になることでもないでしょう。
本当に夢が叶うかは保証もないし、誰にもわかりません。
しかし、やってみなきゃ叶うことはありません。
せっかく人間に産まれて、この世界に嫌でも入った以上、どうせなら満喫しませんか!?
かつおからは以上です。