かつお本舗

たっぷりの偏見と少々の毒舌を添えた気休めエナジー

人狼ゲーム

 

こ・ん・ば・ん・は

 

ドドンッ

 

突然ですが、皆さんは人狼ゲームってやったことはありますか?

得意ですか?

 

今でこそ変に真っ直ぐな捻くれた性格ですが、純粋に真っ直ぐだった頃のかつお人狼ゲームたるものがすごく苦手で、上手な嘘がつけなく、おかしいと思ったところは必死に論破しようとした結果、人狼だろうと村人だろうと初日に吊られる。

という自分の無力さを痛感させられるだけのゲームで、やる度に自分の言葉に大した重みがないのだ。と絶望させられるゲームでした。

 

そんな感じで長らく避けてきた人狼ゲームを大学1年の時に仲間内でやってみましたが、結果は昔と何も変わらず、自分の言葉を信じてくれない仲間に失望するだけでした。

 

しかし、最近見始めたYouTuberの方の人狼がとても上手く見ていてもとても面白いので、リベンジしてみようかな。と思い始めました。

要するに仲間内では無ければ多少嘘もつけるようになって来ただろう。と。

そして、今まではそもそも人狼ゲームというものを知らずに、人狼ならただ嘘をつき、村人なら怪しんだ人物をとことん論破していくゲームだと思ってやっていました。

 

今でも嘘をつくのは苦手だし、人に話を聞かれないというトラウマもありますが、だからこそ人狼ゲームは今のかつおにとって最も足りない物を成長させることのできるゲームなのではないかと思ったのです。

 

かつお一人称や三人称での主観客観の視点から捉える能力は平均以上にあると思っています。

しかし最近、それを相手がどう捉えるか?の二人称の視点においての能力の欠損が人一倍大きいのではないか。と、思えてきたのです。

 

かつおにとっての自己満足は一人称と三人称からしか得てきませんでした。

「自分がこうだから良い。」と、「自分がこうだから相手はこうしてくれる。」と、考えてみればつくづく最低な人ですね。笑

 

で、相手に話を聞いてもらう能力を高めるには二人称での客観視が必要だと思ったのです。

 

これは確かに矛盾しています。

人狼ゲームで勝つには話を聞いてもらえなければならない。しかし、話を聞いてもらうには二人称で捕えなければならない。

 

ですが、人狼ゲームには最低限のセオリーが存在し、それに乗っ取ることである程度自然に話を聞いてもらえるんです。

最初は、オリジナルを目指している身として、テンプレートを使った話は意味が無いようにも思えたのですが、それは普段の生活においてもある程度必要であり、物事の基礎の基礎はテンプレートであるように話し方も例外では無かった。と分かったのです。

 

皆さんはそれが自然にできて気付いてないこともあるかも知れませんが、こじらせコミュ障のかつおにはここから修復して行く必要があったみたいです。笑

 

ですので、もう少し人狼ゲームを知ったところで参戦して行きたいな!と思っております。

 

ではここで終わる!

 

バイちゃ〜

 

 

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